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my patient drew my portrait for me!


by ha_art
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観念運動行為 Vol.3


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立ち寄ったら一日ワンクリ☆ありがとうございます♪
あなたに良きことがなだれの如く起きます^^ 合掌


観念運動行為vol.2はこちら

は〜い、続きで〜す♪
第1に気づくことは、皿がそれぞれの単語の始めでは、文字から文字へのろのろと、立ち止まったり、方向を変えたりしながら進んでいるが、始めの文字によって、その単語全体がほぼ決まり、それがどういう単語かということが大体参加者全体に見当がついてくると、今度は皿は早く、確実に「ためらわず」に動く。
句の始まりと終わりの場合もそれと同じである。句の始まりが決まり、それによって実験の参加者全員がこの句は多分こういう言葉で終わるだろうという期待を持つようになると、皿の運動は早くなってくる。
これはつまり、句のあるいは単語の始めにおいては実験の参加者達の考えがまちまちなので、めいめい、自分の期待する方向へ無意識に皿を押しているからである。
だが、単語がはっきり決まってしまうと、これまでまちまちだった無自覚的な手の力が一つにまとまって、単語の最後の綴りはとんとん拍子にできあがってしまうのである。

第2に目に付くことは、皿の助けによって「霊魂」から得られる答えなるものの性質が、いつもその実験の参加者達の人柄、知識、教養によって決定されていることである。「霊魂」の答えのなかに出てくる数字や日付、引用句、挙げられる事実、言い回し方は、いつもテーブルのまわりに座っている人たちの知能とか教養の水準と一致している。このことは「霊魂」の答えなるものが、実験者の集団的「創作」であることを証明するものだと言えるだろう。

観念運動行為の本質さえ分かっていれば、こうした現象を包む神秘のベールはぞうさなく引きはがすことが出来る。

最後に面白いことは、いかなる種類の「霊魂」の存在をも信じない人間がテーブルの前に座っていると時には、決してこういう「会」は成立しないことである。
こういう人たちには、神秘的期待が欠けているから、当然、観念運動行為が起こらないのだ。こうした会の「専門家」たちが、会の始まる前に、参加者を1時間半なり2時間なりだまってテーブルの前に座らせておくのは、決して偶然ではない。
こうして迷信的な人や単純な人間をあらかじめ興奮させておくのである。
こうしておくと、彼らは積極的に皿を動かす結果になる。

実験の参加者に対するこうした準備工作は、いつも行われてきたのである。エンゲルスもすでに「自然科学と霊魂の世界」のなかでこう書いている。
「『高度』の現象は常に当該の『探求者』が、あらかじめ彼が見なければならないもの、見たいと欲しているものだけを見るように工作されているときにのみ現れる。」このエンゲルスの言葉は、あらゆる種類の迷信が今なおそのあとをたたないことを証明するうえに、きわめて重要である。

無知、暗愚や、あらゆる超自然的なものへの信仰が勢を得ていればいるほど、いろいろの「奇跡」が横行するのは当然である。奇跡はあると信じたり、またそれを興奮して期待することがすでに不可解な現象に対する探求的な、批判な態度をとる能力を失わせ、イリュージョン、つまり間違った、歪められた知覚を作り出すからである。

以上見てきたように、無意識であるほど実は、観念運動行為として身体に微細な筋収縮が行われている。これが観念運動行為である。
だから、人は本当は本能的にすべき事やしたいことを知っているのである。
それを普段は強い理性が抑制をかけているため、分かりづらい。
でも、身体にその反応を聞くと、身体は常に快感となる方を選ぼうとする。
しかし、それと反する不快なものを感知すると緊張が起こる。
当然、身体が拒否しているのだから、不快なことをすると失敗するのです。
逆に、快感なことし続ければ、当然、「成功」が訪れるのである。
なぜなら、身体が緊張しないから、すべての物事は万事順調に進むということである。人生の成功哲学とはそういうことなのであろう。
だからこそ、自分を信じて自分のやりたいことをやりなさいと言うことです。

つづく


最初にお忘れの方はワンクリ☆ありがとうございます♪ 合掌
by ha_art | 2006-07-10 01:55 | 病気とストレス