“いのち“も制度によっては金次第 いい病院ほど値段が高い?について毒舌する Vol.1
2005年 09月 24日
Nikkeibp.jp-健康のニューストピックより
“いのち“も制度によっては金次第 いい病院ほど値段が高い?
何かを「買う」というのは、きわめてよくあることです。映画のチケットを買う、化粧品を買う、高額なものでは自動車を買う、家を買う――。しかし、医療の場合、実は医療費の支出は家計にとって大きなものであるにもかかわらず、「買う」という感覚がある人は少ないと思います。
これは、正確に言うと、病院や薬局で提供されるサービスや薬剤、情報などを「買う」という行いととらえているかどうかを聞いているのですが、そう思っている人は少ないということです。では、なぜ医療では、「買う」という感覚を持ちにくいのでしょうか?
例えば、何かを「買う」ときには、値段を考えます。買うものの価値と値段を秤にかけて、価値が大きいと思えば「買う」し、小さいと思えば「買わない」ことになります。そして、この決定は、その人のもっているお金の量によっても影響されます。お金持ちならば、多くのものを「買う」し、そうでなければ「買わない」ことがあります。 …more
今回は、この上記の記事を読んで思ったことを書こうと思う。
書いていたら、だらだらと長ったらしい文章になってしまったので
いくつかに分けて書いていこうと思う。
確かに、日本人は、医療(技術やサービス)を買うという意識は少ないと思う。確かに、生命を天秤にかけることは難しい。しかし、それを提供する側にもレベルや技術の違いはある。それなのに、一律の金額を支払うのはおかしい。いい物には、それなりの価値の値段を支払うべきではないだろうか?当然、悪い物にはそれなりの値段しかつかない。それは、提供する側が決めることではなく、カスタマーが批評することで、値段が付いていくのだと思う。
では、これを医療に置き換えてみるとどうなるのか?当然、技術を持った先生にはそれなりの価値のある報酬を支払うべきで、いい加減な治療を提供している先生には、低い価値の報酬が妥当である。しかし、現在の日本の医療保険の制度では、いい先生の治療だから高くて、悪い先生の治療だから安いという方程式は成り立たない。なぜなら、保険点数制度で、だれが診療しても、診療内容によって、点数が変化するだけなので、そこに個人的な技術料の上乗せはないのである。これでは、腕のいい先生が治療したのと、いい加減な先生が治療したのでは、支払われる報酬に差が出ない。これは、なにを意味するかというと、医療全体の技術の底上げにならないということである。
広く、浅く、適当な医療のサービスしか提供できないのである。
私の知り合いの、天才肛門外科の先生(全国からこの先生の治療を受けるために患者さんがきます)が、昔、同じようなことを仰っていました。「なぜ私の手術と医大を卒業したての医師の手術の値段が同じなのか?私はこの道何十年と経験と技術を研鑽し患者様から信用を得てきた、それなのに、新卒医師と値段が一緒では、経営的にやってはいけないし、ベテランの技術者に還元されない現在の医療システムは技術を発展させない」と。
これより、もっと深刻な状況にあるのが、歯科医療ではないだろうか?保険診療での治療には限界があり、歯科は特に、個人の技術の差がでる分野であることは、皆さんも経験済みであろう。この保険診療、いい面は、やはり誰もがそこそこの治療を安価で受けられることだ。しかし、提供する側からすれば、当然、いい材料を使い、いい技術を駆使して、最高の治療を施したいと思うであろう。
でも、いい材料を選択し、いい技術を提供すると、保険が適応されないのが普通である。だから、しかたなしに、安い材料で、そこそこの治療しか提供できず、当然いい治療には時間をかけなければならないが、一人の患者に、安価な治療を時間をかけて治療することなど、経営的に当然無理な話である。
だから、適当なそこそこの治療で数を診るしか生計を立てられないのである。日本の歯科技術が欧米とくらべて低いと言われるのは、抜本的には、教育の低さではなく、こうした保険診療が足を引っ張っているのではないかと僕は思う。日本人の手先の器用さを比較したら本来負けるはずがないのである。
“いのち“も制度によっては金次第 いい病院ほど値段が高い?
何かを「買う」というのは、きわめてよくあることです。映画のチケットを買う、化粧品を買う、高額なものでは自動車を買う、家を買う――。しかし、医療の場合、実は医療費の支出は家計にとって大きなものであるにもかかわらず、「買う」という感覚がある人は少ないと思います。
これは、正確に言うと、病院や薬局で提供されるサービスや薬剤、情報などを「買う」という行いととらえているかどうかを聞いているのですが、そう思っている人は少ないということです。では、なぜ医療では、「買う」という感覚を持ちにくいのでしょうか?
例えば、何かを「買う」ときには、値段を考えます。買うものの価値と値段を秤にかけて、価値が大きいと思えば「買う」し、小さいと思えば「買わない」ことになります。そして、この決定は、その人のもっているお金の量によっても影響されます。お金持ちならば、多くのものを「買う」し、そうでなければ「買わない」ことがあります。 …more
今回は、この上記の記事を読んで思ったことを書こうと思う。
書いていたら、だらだらと長ったらしい文章になってしまったので
いくつかに分けて書いていこうと思う。
確かに、日本人は、医療(技術やサービス)を買うという意識は少ないと思う。確かに、生命を天秤にかけることは難しい。しかし、それを提供する側にもレベルや技術の違いはある。それなのに、一律の金額を支払うのはおかしい。いい物には、それなりの価値の値段を支払うべきではないだろうか?当然、悪い物にはそれなりの値段しかつかない。それは、提供する側が決めることではなく、カスタマーが批評することで、値段が付いていくのだと思う。
では、これを医療に置き換えてみるとどうなるのか?当然、技術を持った先生にはそれなりの価値のある報酬を支払うべきで、いい加減な治療を提供している先生には、低い価値の報酬が妥当である。しかし、現在の日本の医療保険の制度では、いい先生の治療だから高くて、悪い先生の治療だから安いという方程式は成り立たない。なぜなら、保険点数制度で、だれが診療しても、診療内容によって、点数が変化するだけなので、そこに個人的な技術料の上乗せはないのである。これでは、腕のいい先生が治療したのと、いい加減な先生が治療したのでは、支払われる報酬に差が出ない。これは、なにを意味するかというと、医療全体の技術の底上げにならないということである。
広く、浅く、適当な医療のサービスしか提供できないのである。
私の知り合いの、天才肛門外科の先生(全国からこの先生の治療を受けるために患者さんがきます)が、昔、同じようなことを仰っていました。「なぜ私の手術と医大を卒業したての医師の手術の値段が同じなのか?私はこの道何十年と経験と技術を研鑽し患者様から信用を得てきた、それなのに、新卒医師と値段が一緒では、経営的にやってはいけないし、ベテランの技術者に還元されない現在の医療システムは技術を発展させない」と。
これより、もっと深刻な状況にあるのが、歯科医療ではないだろうか?保険診療での治療には限界があり、歯科は特に、個人の技術の差がでる分野であることは、皆さんも経験済みであろう。この保険診療、いい面は、やはり誰もがそこそこの治療を安価で受けられることだ。しかし、提供する側からすれば、当然、いい材料を使い、いい技術を駆使して、最高の治療を施したいと思うであろう。
でも、いい材料を選択し、いい技術を提供すると、保険が適応されないのが普通である。だから、しかたなしに、安い材料で、そこそこの治療しか提供できず、当然いい治療には時間をかけなければならないが、一人の患者に、安価な治療を時間をかけて治療することなど、経営的に当然無理な話である。
だから、適当なそこそこの治療で数を診るしか生計を立てられないのである。日本の歯科技術が欧米とくらべて低いと言われるのは、抜本的には、教育の低さではなく、こうした保険診療が足を引っ張っているのではないかと僕は思う。日本人の手先の器用さを比較したら本来負けるはずがないのである。
by ha_art
| 2005-09-24 00:50
| 保険と実費