遙か昔から変わらないもの・・・
2006年 03月 09日
今、患者さんから、話題のリリーさんの「東京タワー」をお借りして読んでいる。
すでに、読み終わった方の多いでしょう。
そこに、こんな一節があった。
そう、ヒトがヒトになったときから変わらぬもの
それは「感情」であろう。
だからこそ、未だに変わらないもの。
未だにヒトとして唯一の共通のもの。
「感情」これに限る。
ただし、そこに広がる表現は人それぞれ無限大である。
だからこそ、ひとりひとりみな違った個性あるヒトなのである。
日々、臨床でこの「感情」に触れていると思う。
みんな一緒。それがヒトなのです。
人間の能力には果てしない可能性があったにしても、人間の「感情」はすでに、大昔から限界が見えているのだから。
日進月歩、道具は発明され、延命の術は見つかり、私たちは過去の人類からは想像も出来ないような「素敵な生活」をしている。しかし、数千年前の思想家や哲学家が残した言葉、大昔の人間が感じた「感情」や「幸福」に関する言葉や価値観は、今でも笑えるくらいに、なんにも変わっていない。どんな道具を持ち、いかなる環境に囲まれても、ヒトの感じることはずっと同じだ。
感情の受け皿には、もう可能性はない。だから、人間はこれから先も永遠に潜在する能力を出し切ることができないだろう。
「幸福」という、ひまわり畑にいるおばけを意識したときから、まだ見ぬ己の能力など一銭の価値もなくなる。
へぇ〜!をお願いします
すでに、読み終わった方の多いでしょう。
そこに、こんな一節があった。
そう、ヒトがヒトになったときから変わらぬもの
それは「感情」であろう。
だからこそ、未だに変わらないもの。
未だにヒトとして唯一の共通のもの。
「感情」これに限る。
ただし、そこに広がる表現は人それぞれ無限大である。
だからこそ、ひとりひとりみな違った個性あるヒトなのである。
日々、臨床でこの「感情」に触れていると思う。
みんな一緒。それがヒトなのです。
人間の能力には果てしない可能性があったにしても、人間の「感情」はすでに、大昔から限界が見えているのだから。
日進月歩、道具は発明され、延命の術は見つかり、私たちは過去の人類からは想像も出来ないような「素敵な生活」をしている。しかし、数千年前の思想家や哲学家が残した言葉、大昔の人間が感じた「感情」や「幸福」に関する言葉や価値観は、今でも笑えるくらいに、なんにも変わっていない。どんな道具を持ち、いかなる環境に囲まれても、ヒトの感じることはずっと同じだ。
感情の受け皿には、もう可能性はない。だから、人間はこれから先も永遠に潜在する能力を出し切ることができないだろう。
「幸福」という、ひまわり畑にいるおばけを意識したときから、まだ見ぬ己の能力など一銭の価値もなくなる。
へぇ〜!をお願いします
by ha_art
| 2006-03-09 00:36
| 独り言